希望の家では、東日本大震災を受け、
私たちに何か出来る事がないかを考えました。
まず義援金を募りました。
義援金は「全国社会福祉協議会」を通じて
被災地の皆様に役立ててもらうことになりました。
被災地にある児童養護施設職員から食べ物などが不足しているという情報をもらい、職員がレトルトのご飯やおでん等を持ちより
宮城県にある児童養護施設に送りました。
また、厚生労働省の依頼を受け
被災地への職員派遣、被災地の震災孤児の受け入れなどの登録を行いました。
その後現地で生鮮品が不足しているという連絡を受け、
希望の家として力になろうと決め今回の支援プロジェクトに至りました。
ワゴンに詰め込んだ支援物資は
職員を始め理事長夫妻の理解と協力により用意をしました。
希望の家東日本大震災支援プロジェクトと称し、
16日の19時に出発し宮城県の旭が丘学園に支援物資を届けました。
現地に到着したのは17日の早朝でした。
翌日18日には予定には無かったのですが現地に行った職員が
他にも何か出来る事があるのではないかと想い
津波の被害を受けた家庭の泥出しのお手伝いをさせていただきました。
帰園後、現地に出向いた職員が行った報告会では、
動画や写真を使いながら現場の状況を伝えてくれました。
その状況を見て聞いただけでも、
今回の大震災が自分達の想像を絶する規模だった事がよく分かりました。
ただただ、言葉では言い表せない気持ちが残り、
当たり前に過ぎている今の生活がどんなに幸せな事なのか知る事が出来ました。
一日一日を大切に過ごし
被災した地域だけでなく、皆が幸せになれるように
出来る事からコツコツと行っていこうと、
報告会に参加した職員は改めて感じました。
<被災地を訪れた職員の感想>
東日本大震災により被害を受けられた皆様、
またそのご家族の皆様にに心からお見舞いを申し上げます。
私自身岩手県出身であり震災後、
東北出身者として何か出来ることはないかと考えていた最中、
園長より今回のプロジェクトのお話を頂きました。

現地の様子は、テレビや新聞などのメディアの情報だけでは
感じ取れなかった痛ましい風景が広がっていました。
陸前高田市では、地上より6mほどの高さにある神社に
ワゴン車が追突しているところもありました。
私の中でこの光景が一番印象に残っており、今回の津波の脅威を凄さを感じました。
学生時代に何度か訪れた事がある私でさえ凄くショックを受けたので、
ここに住まれていた方々を思うと居た堪れない気持ちになりました。

「旭が丘学園」さんは、比較的に高台に位置し津波での影響はなかったものの、
被災後数週間はライフラインが滞っており、
食事もわずかに送られてくる食料で賄ってきたという厳しい状態であったようでした。
そこから、徐々に各地から物資が届けられてくるようになり、
今回私達も希望の家として物資を送り届けることができました。
子ども達や職員の方々に、到着時から出発時まで笑顔で温かく接して頂けたことを大変嬉しく思っています。
時間を作っていただき子ども達と学校や公園へ出かけ、
一緒になって目一杯遊ばせて頂きました。
大きな余震が続き、なかなか外に出て遊ぶことが出来なかった為、
この時が久しぶりのお出かけだったようで、子ども達もいきいきと遊んでいました。

その一方で、遊んでいる横には瓦礫や通学路の川辺に乗り上げている船があり、
それを見る目からは、悲しさをのぞかせているように感じられました。
震災から1か月以上が経ちますが、
私が見ただけでもまだまだ手つかずのところが多くありました。
きっと本当に大変なのはこらからなのだと思います。
私は今回のプロジェクトで体験したこと、感じたことを多く方々へ伝え、
何が必要とされ何が出来るかを考え、行動に移していきます。
そうすることで、ほんの少しでも震災を受けた方々の
力になるのではないかと想い信じています。
ガンバロウ東北!ガンバロウ日本!!
希望の家職員 及川
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